2013年1月掲載|青木脳神経外科・形成外科の青木道夫院長と内村公一の対談
内村が青木先生とご縁をいただいたのは、本当に奇跡と感謝しております。いやしだまが、青木先生とのご縁を生み出したことは言うまでもありません。
それは、(内村が)小さい頃から遊んでくれた人がいた。今は京都の壬生(みぶ)というところで家具屋(株式会社のぶちゃんマン
http://www.nobuchan-man.co.jp/)の社長をしている。その家具屋さんの催しにさかのぼることになる。(2003年の秋)
ある日、内村は、のぶちゃんマンを訪ねる。もう、何年ぶり?すると、そこには小さい頃そのまま(?)のその人がいた。
【のぶちゃんマン】
「どうしてんの?商売はうまくいってるか?
今度パルスプラザでアウトレット家具の展示会をするんやけど会場の入り口でなんか変わったかっこしてパフォーマンスしながら宣伝したら?」と。
【内村】
「ハイハイ!やります!やります・・・」
その当日のこと、大雨!バケツひっくり返したような・・・
そのテントの向こうにはパン屋さん(京都祇園ボローニャ
http://www.rakuten.co.jp/bologne/)が。ちょっと高級なパン。そこに一人の男(アタカさん)が座ってる。向こうからニヤニヤ笑いながら・・・
【アタカさん】
「(いやしだまをさして)それ効くのん?」・・・と濡れながらこっちへ来る。
【内村】
「ちょっと使ってみてぇ~♪」・・・しばらくして・・・
【アタカさん】
「これ、よう効くやん!ひとつ買うよ!」
【内村】
「ありがとぉ~♪」
その日の最初で最後のお客さんはアタカさん。それからさらに雨が強くなってきてたいした宣伝もできなかったが、アタカさんがよろこんでくれたことが心に残る。
何日かたったある日、今度行く釣りで使う竿の準備のために釣具屋にいた。その時、アタカさん、そうあのパン屋のおにいさんから電話が入った。
【アタカさん】
「僕は水についての研究をしており、こないだ高知県へ行きました。そこに青木さんというお医者さんがいて、その方がこの“たま”にすごく興味を持って、是非自分に会いたいそうなんやけど、電話してみたら?」
【内村】
「ウンウン、ありがとう!」
電話を切って・・・その先生は京大卒のバリバリのドクター!そんな方と研究したら、お金がめちゃくちゃかかるやん!!僕の知ってる京大のお医者さんは、ちょっと<書きモノ>したら、200万円というのを思い出しながら・・・恐る恐る電話してみることに。
【青木先生】
「おぉ~~~~!一度、高知まで来たら!」
【内村】
「はい・・・先生・・・、商品に注目してもらったことはうれしいのですが、実は、僕は研究費を支払うお金がありません・・・」
【青木先生】
「おぅ、そうか、うちにはお金はいっぱいあるし、そんな気持ちがあったら、お酒がすきやから、高知の大丸や空港に売ってない京都の酒を持って来て・・・。」と。
これが、青木先生とのはじめてでした。電話ではありましたが・・・
それからすぐに、京都は伏見の酒屋を回って、珍しいお酒を探した。探した。探した。
一升瓶を2本、自分の荷物も含め、手がちぎれそうに重い。落とさんように、大事に大事に。
高知は病院へたどり着いたとき、おぉ~~~~~立派な病院やん。
【青木先生】
「これは、何で出来てるの?」
「どうして作るの?」
「僕は、高知県と海洋深層水の研究をしている。それに引けを取らへんもんだから・・・」
そして、極めつけの言葉が↓これです。
「世の中へ出しぃやぁ~!、お金はええから。そうなるまで面倒みてあげるから。」
「どんなデータでもとってやるから・・・、これで人の役に立てろ!」
【内村】
涙が出てきた・・・うれしかった。
いやしだまには、自信があった。いいもんだという自信があった。よく効くものには間違いなかった。
でも、人に伝えるとき、なんの証明するものもなかった、なんの根拠もないと言われ続けられていたから。
青木先生の言う通り、人の役に立てる・・・そんな自信へと変わった。
これが青木先生との出会いです。そんなことから、先生とのお付き合いがはじまった。
人と人が運んでくれたご縁、それがすべてです、心から感謝です。
たくさんの人、光を見つけてくれた青木先生に、心から感謝です。
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